【松下幸之助の言葉】 あなたのこれからには、さまざまな困難があるにちがいない・・・
あなたのこれからには、さまざまな困難があるにちがいない。
しかし、どんなときでも志を失うことなく、私心にとらわれず、あなたの可能な限りの努力をしてほしい。
そして、つぎの事態を静かに待つ。期待どおりにいくこともあり、期待に背かれることもあるでしょう。それはあなたの力を超えたものの働きだと思います。
どのような力が働こうとあわてることはありません。
あなたはできるだけのことはした。
そうして待つとき、必ずつぎの新しい道が、しぜんとひらけるのではないでしょうか。
松下幸之助
1894年(明治27年)生まれ。9歳の時に大阪に奉公に出て苦闘する。1918年松下電器製作所を創設する。数々の特許・実用新案を開発するなど事業を拡大し、1925年松下電器産業株式会社に改組、社長に就任。かわたらPHP研究所を創設するなど、人間・社会への並々ならぬ関心を示している。
【フジ子・ヘミングの言葉】 捨てなければ、得られない喜びというのもあるわよ・・・
捨てなければ、得られない喜びというのもあるわよ。
フジ子・ヘミング
1932年(昭和7年)ベルリンで生まれる。父親がロシア系スウェーデン人(画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング)で、母親が日本人(ピアニストの大月投網子)のハーフ。1969年、バーンスタインはじめ、ニキータ・マガロフ、シューラ・チェルカスキー、ブルーノ・マデルナらの推薦によって、ウィーンでのリサイタルが決定。しかし、リサイタル直前に風邪で聴力を失い、やむなくすべてのコンサートをキャンセル。 その後ストックホルムで耳の治療に専念する傍ら、音楽学校の教師の資格を得てピアノ教師をしながら演奏活動を行う。様々な困難を経ながらも、そのすべてを演奏に捧げる姿に多くの人々が魅了されている。
【スティーブン・R・コヴィーの言葉】 農場で場当たり的な詰め込み主義で作業することの愚かさを考えたことがあるだろうか・・・
農場で場当たり的な詰め込み主義で作業することの愚かさを考えたことがあるだろうか。
春に種蒔き、夏は遊び惚けて、秋になってから収穫を得るために必死になって頑張る。
農場は自然のシステムである。
必要な努めを果たし、作業を行わなければならない。
蒔いたものしか刈り取ることはできない。
そこに近道はない。
スティーブン・R・コヴィー
世界各国のリーダに対して広くコンサルタントとして活躍してきた。『7つの習慣 成功には原則があった!』の著者として世界的に有名。 英国『エコノミスト』誌によれば、コヴィーは今、世界で最も大きな影響力を持つ経営コンサルタントとされている。
【スティーブン・R・コヴィーの言葉】 私たちは、前の世代が作り上げてきた土台の上に自分たちの成功を・・・
私たちは、前の世代がつくり上げてきた土台の上に自分たちの成功を築くことを繰り返してきた結果、土台そのものを築く大切さを忘れてしまったのだろう。
あるいは、種を蒔かずに長年刈り入れを続けてきたせいで、種を蒔く必要性を忘れてしまっているのかもしれない。
スティーブン・R・コヴィー
世界各国のリーダに対して広くコンサルタントとして活躍してきた。『7つの習慣 成功には原則があった!』の著者として世界的に有名。 英国『エコノミスト』誌によれば、コヴィーは今、世界で最も大きな影響力を持つ経営コンサルタントとされている。
【ブッダの言葉】 たとえためになることを数多く語るにしても・・・
【フジ子・ヘミングの言葉】 ピアニストは奇麗な手をしている人が多い・・・
ピアニストは奇麗な手をしている人が多い。
手をとても大事にしているから。
私の手はちっとも奇麗じゃないけれど、表情に満ちている。
生きるための労働をしてきた手だから。
フジ子・ヘミング
1932年(昭和7年)ベルリンで生まれる。父親がロシア系スウェーデン人(画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング)で、母親が日本人(ピアニストの大月投網子)のハーフ。1969年、バーンスタインはじめ、ニキータ・マガロフ、シューラ・チェルカスキー、ブルーノ・マデルナらの推薦によって、ウィーンでのリサイタルが決定。しかし、リサイタル直前に風邪で聴力を失い、やむなくすべてのコンサートをキャンセル。 その後ストックホルムで耳の治療に専念する傍ら、音楽学校の教師の資格を得てピアノ教師をしながら演奏活動を行う。様々な困難を経ながらも、そのすべてを演奏に捧げる姿に多くの人々が魅了されている。