宗教家
たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。 牛飼いが他人の牛を数えているように。 ブッダ ブッダ紀元前5世紀ごろの北インドの人物で、仏教の開祖。本名はゴーダマ・シッダッダ。苦悩の末悟りを開き…
天地(あめつち)の心のありか尋ぬれは 己(おの)か心の内にこそ有りける 黒住宗忠 黒住宗忠安永9年11月26日(1780年12月21日) - 嘉永3年2月25日(1850年4月7日))現代の岡山県に位置した備前国御野郡中野村の今村宮に仕える禰宜の家に三男として生まれる。…
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。 怨みをすててこそ息(や)む。 これは永遠の真理である。 ブッダ ブッダ紀元前5世紀ごろの北インドの人物で、仏教の開祖。本名はゴーダマ・シッダッダ。苦悩…
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。 ー影がそのからだからはなれないように。 ブッダ ブッダ紀元前5世紀ごろの北インドの人物で、仏教の開祖。本名は…
天照す神諸(もろ)ともに行く人は 日毎日毎に有り難きかな 黒住宗忠 黒住宗忠安永9年11月26日(1780年12月21日) - 嘉永3年2月25日(1850年4月7日))現代の岡山県に位置した備前国御野郡中野村の今村宮に仕える禰宜の家に三男として生まれる。 幼名を権吉(…
世の中に人をそだつる心こそ我をそだつる心なりけれ 荒木田守武 荒木田守武1473~1549年。伊勢皇大神宮の神官。神宮在職中は騒乱相次ぐ戦国の世で式年遷宮も中絶したが、仮伝遷宮祭を奉仕するなど、神宮奉護に力を尽くした。また神明奉仕の傍ら俳諧連歌に取…
天照らす神の 宮居(みやい)に住人(すみひと)は限り知られぬ命なるらん 黒住宗忠 黒住宗忠 安永9年11月26日(1780年12月21日)- 嘉永3年2月25日(1850年4月7日) 神道系の新宗教のさきがけとなる黒住教を開いた幕末の神道家。 備前の神社の神職だった。 …
天照す神の御はらに住人(すむひと)は寝ても覚めてもおもしろきかな 黒住宗忠 黒住宗忠安永9年11月26日(1780年12月21日)- 嘉永3年2月25日(1850年4月7日) 神道系の新宗教のさきがけとなる黒住教を開いた幕末の神道家。 備前の神社の神職だった。 黒住宗…