【黒住宗忠の言葉】 天地(あめつち)の心のありか尋ぬれは・・・
天地(あめつち)の心のありか尋ぬれは 己(おの)か心の内にこそ有りける
黒住宗忠
安永9年11月26日(1780年12月21日) - 嘉永3年2月25日(1850年4月7日))
現代の岡山県に位置した備前国御野郡中野村の今村宮に仕える禰宜の家に三男として生まれる。 幼名を権吉(ごんきち)といい、備前藩から孝行息子として表彰されるほどの親孝行であったといい、「黒住の孝行息子」と周囲からあだ名されたという。
文化11年(1814年)11月11日、最早最期と覚悟した宗忠は冬至の朝の太陽を浴びる中で天照太神と同魂同体となるという「天命直授」と言われる霊的体験により天命を悟るとともに、病気も消えうせ、宗教的活動を開始したと言われる。皇室や公家の中に宗忠に帰依する者が多く、宗忠の死後、神道の権威とされた吉田家より「宗忠霊神」、安政3年(1856年)3月8日に「宗忠大明神」の神号が授けられる。