【樋口一葉の言葉】 ああ、いやだ、いやだ、いやだ・・・
ああ、いやだ、いやだ、いやだ。
どうしたなら人の声も聞えない物の音もしない静かな、静かな、自分の心も何もぼうっとして物思いのないところへ行かれるであろう。
つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情けない悲しい心細い中に、いつまで私は止められているのかしら。
これが一生か、一生がこれか、ああ、いやだ、いやだ・・・仕方がない、やはり私も丸木橋を渡らずばなるまい。
樋口一葉
日本の作家(1872-1896)東京生まれ。本名は樋口奈津。一葉は明治20年(1887年)に兄、翌々年に父を亡くした後に17歳で家督を相続してからは、母と妹とつましい暮らしを余儀なくされ、小間物屋を営みながら中島歌子の萩の舎で講師をしたりして生活を支えた。明治25年(1892年)年処女小説「闇桜」が雑誌『武蔵野』に掲載される。その後明治28年(1895年)より「たけくらべ」「大つごもり」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」などを発表。明治29年(1896年)年の永眠までの期間は後に「奇跡の14ヶ月」と呼ばれるようになる。15歳から晩年まで綴っていた日記も近代文学の傑作といわれる。
明治29年(1896年)11月23日、肺結核により永眠。享年24歳。