【細野晴臣の言葉】 1940年代頃の音楽の良さは、ダイナミック・レンジの狭さとか・・・
1940年代頃の音楽の良さは、ダイナミック・レンジの狭さとかセピア色とかそういうことじゃなくて、空気をまるごと一本のマイクで録音したっていうことなんだよ。
空気を切り取るということは、宇宙の断片を切り取ることだから。
そこには、全ての情報がまるごと含まれているんだよ。
宇宙全体の情報が。
細野晴臣
1947年生まれ。音楽家。1969年エイプリルフールでプロデビュー。1970年はっぴいえんどを結成。1973年ソロ活動を開始。同時にティン・パン・アレーとしても活動。1978年高橋幸宏、坂本龍一とともにイエローマジックオーケストラ(YMO)を結成。YMO解散後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを独自の視点で探求。同時にプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
【細野晴臣の言葉】 悟りっていうのはひとつの世界じゃなくて・・・
悟りっていうのはひとつの世界じゃなくて、プロセスなんだと思う。
そこに向かっていくっていうプロセス自体であって、悟りっていうのは「道」なの。その道を歩むか歩まないかってだけなんだよ。
細野晴臣
1947年生まれ。音楽家。1969年エイプリルフールでプロデビュー。1970年はっぴいえんどを結成。1973年ソロ活動を開始。同時にティン・パン・アレーとしても活動。1978年高橋幸宏、坂本龍一とともにイエローマジックオーケストラ(YMO)を結成。YMO解散後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを独自の視点で探求。同時にプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
【細野晴臣の言葉】 選択肢は設定したんだけど、選ぶのは向こうだから・・・
選択肢は設定したんだけど、選ぶのは向こうだから。
サイコロの目と一緒。そのくらいの曖昧さがあるんだ。
こっちじゃなきゃダメ、っていう風に選んだことはない。
今思うのは、どっちに行っても同じだってこと。
ふたつに分かれているようで、先は一緒になっているんだ。
細野晴臣
1947年生まれ。音楽家。1969年エイプリルフールでプロデビュー。1970年はっぴいえんどを結成。1973年ソロ活動を開始。同時にティン・パン・アレーとしても活動。1978年高橋幸宏、坂本龍一とともにイエローマジックオーケストラ(YMO)を結成。YMO解散後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを独自の視点で探求。同時にプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。