【マハトマ・ガンディーの言葉】 突然の災難が降りかかったとき・・・
突然の災難が降りかかったとき、人は恐怖に立ちすくむ。
この災厄で、財産や社会的な地位や名誉を失うのではないか。
愛する者や自分の身が危険にさらされるかもしれない。
そんな恐怖でわたしたちの目は曇り、進むべき道を見失う。
しかし、わたしたちには、もともと困難を乗り越える力が授けられている。
心の中から、この恐れを追い出せば、その力がよみがえる。
恐れるな、道はひらける。
マハトマ・ガンディー
1869年、英国植民地時代のインド、現在のグジャラート州ポールバンダルで官吏の息子として生まれる。本名、モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー。英国に留学した後、弁護士となる。1893年南アフリカに渡り、現地でインド人労働者に対する人種差別に抗議して平等権獲得闘争を指導。1915年、インドに帰国。第一次世界大戦後、英国の弾圧が高まるなか、国民会議派の指導者となり、非暴力・非服従による抵抗運動を開始。たびたび逮捕・投獄されながらも、1947年にインド独立を果たす。翌1948年、ニューデリーで狂信的ヒンドゥー教徒に暗殺される。インド独立の父、マハトマ(大いなる魂)の尊称で呼ばれる。
【細野晴臣の言葉】 音の響きを心で聴いた・・・
音の響きを心で聴いた。
そうすると、音がぽんと鳴った瞬間に、その音楽がどういう世界観を持っているかがだんだん分ってくる。その時代はそういうことが大事だった。大げさに言うと音から人類の行く末がわかったんだ。
音楽が「兆し」を表すから。
細野晴臣
1947年生まれ。音楽家。1969年エイプリルフールでプロデビュー。1970年はっぴいえんどを結成。1973年ソロ活動を開始。同時にティン・パン・アレーとしても活動。1978年高橋幸宏、坂本龍一とともにイエローマジックオーケストラ(YMO)を結成。YMO解散後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを独自の視点で探求。同時にプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
【岡潔の言葉】 数学は必ず発見の前に一度行き詰まるのです・・・
数学は必ず発見の前に一度行き詰まるのです。
行き詰まるから発見するのです。
西洋人は自我が努力しなければ知力は働かないと思っているが、数学上の発見はそうではない。
行き詰まって、意識的努力なんかできなくなってから開けるのです。
岡潔
大阪生まれ。日本数学史上最大の数学者。1925年(大正14年)、京都帝国大学卒業と同時に講師に就任、以降、広島文理科大学、北大、奈良女子大で教鞭をとる。多変数解析函数論において世界中の数学者が挫折した「三つの大問題」を一人ですべて解決した。1960年(昭和35年)、文化勲章受章。エッセイ集に『青宵十話』『日本のこころ』『風蘭』『情緒の教育』『情緒と創造』『情緒と日本人』など。
岡潔
大阪生まれ。日本数学史上最大の数学者。1925年(大正14年)、京都帝国大学卒業と同時に講師に就任、以降、広島文理科大学、北大、奈良女子大で教鞭をとる。多変数解析函数論において世界中の数学者が挫折した「三つの大問題」を一人ですべて解決した。1960年(昭和35年)、文化勲章受章。エッセイ集に『青宵十話』『日本のこころ』『風蘭』『情緒の教育』『情緒と創造』『情緒と日本人』など。
【安岡正篤の言葉】 したがって我々は何を学ぶのか・・・
したがって我々は何を学ぶのか、何のために教学を重んずるかといえば、第一に自己の自主性・自立性を錬磨すること、自由を確立することであり、進んでは、それによって発達する自己を通じて、何らか世のため人のために尽くさんがためである。そのために学び、そのために教学を重んずるのである。
安岡正篤
明治31年(1898年)、大阪市に生まれる。大阪府立四條畷中学、第一高等学校を経て、大正11年東京帝国大学法学部政治学科卒業。東洋政治哲学・人物学を専攻。大正11年秋に東洋思想研究所、昭和2年に(財)金鶏学院、同6年に日本農士学校を創立、東洋思想の研究と人物の育成に従事。戦後、昭和24年に師友会を設立、広く国民各層の啓発・教化に努める。昭和58年(1983年)12月逝去。
【細野晴臣の言葉】 1940年代頃の音楽の良さは、ダイナミック・レンジの狭さとか・・・
1940年代頃の音楽の良さは、ダイナミック・レンジの狭さとかセピア色とかそういうことじゃなくて、空気をまるごと一本のマイクで録音したっていうことなんだよ。
空気を切り取るということは、宇宙の断片を切り取ることだから。
そこには、全ての情報がまるごと含まれているんだよ。
宇宙全体の情報が。
細野晴臣
1947年生まれ。音楽家。1969年エイプリルフールでプロデビュー。1970年はっぴいえんどを結成。1973年ソロ活動を開始。同時にティン・パン・アレーとしても活動。1978年高橋幸宏、坂本龍一とともにイエローマジックオーケストラ(YMO)を結成。YMO解散後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを独自の視点で探求。同時にプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。