【本田宗一郎の言葉】 私は深刻に、これではいけないと思う・・・
私は深刻に、これではいけないと思う。
オトナ達が本気で未知の魅力にとりつかれ、勇敢にそれを追求しなければ、家庭生活は暗くなり、社会に活力が消え、自然と国家も斜陽のコースをたどることになる。
なぜかといえば、消極的なオトナに囲まれていては、満足に若い芽も、若いエネルギーも生まれにくいからだ。
本田宗一郎
1906年(明治39年)静岡県生まれ。22歳で独立。浜松で自動車修理工として成功するが飽き足らず、エンジンやピストンリングの研究を始める。戦後、本田技術研究所を創業し、自転車に小型エンジンを載せた通称「バタバタ」を発売。1948年、本田技研工業(株)を創業し社長に就任。オートバイ「ドリーム号」「スーパーカブ号」などを次々に開発し、二輪車で世界のトップメーカーとなった。その後、四輪車に進出、低公害のCVCCエンジンの開発などを成功させ、1973年社長を退く。1991年8月、肝不全のため84歳で死去。
【顧炎武の言葉】 文章が天地の間に絶えてはいけないというのは・・・
文章が天地の間に絶えてはいけないというのは、道理を明らかにするものだからである。政事を記録するものだからである。人民の言おうとして言いえないことを、はっきりさせるものだからである。人々の善をいうのを楽しむものだからである。このようなものは世の中に益があり、将来に益がある。一遍多ければ一遍だけの益がある。
理性でわりきれぬ怪刀乱神のこと、ばかばかしい言葉、古人の考えを失敬した説、権威にへつらう文。このようなものは、当人には害があり他人には益がない。一遍多ければ一遍だけの損がある。
顧炎武
1613年7月15日 -1682年2月15日
中国明末、清初の儒学者。明の滅亡に際して反清運動に参加した。経学や歴史学の研究の傍ら経世致用の実学を説き、考証学正統派の始祖とされる。
【佐藤オオキの言葉】 デザインとは、単に何かをカッコよくすることが目的ではありません・・・
デザインとは、単に何かをカッコよくすることが目的ではありません。
人に対して何かを「伝える」ための手段です。
難しいことをわかりやすく、論理的なことを直感的に。
見えないものを見えるように。
それがデザインの本質です。
佐藤オオキ
1977年カナダ生まれ。2000年早稲田大学理工学部建築学科首席卒業。2002年同大学大学院修了後、デザインオフィスnendo設立。「小さな“!”を感じてもらうこと」をコンセプトに、東京・ミラノ・シンガポールを拠点として、建築・インテリア・プロダクト・グラフィックと多岐に渡ってデザインを手がける。Newsweek誌「世界が尊敬する日本人100人」(2006年)、「世界が注目する日本の中小企業100社」(2007年)に選ばれる。また、Wallpaper*誌(英)およびELLE DECO International Design Awardをはじめとする世界的デザイン賞を数々受賞。
【ホー・チ・ミンの言葉】 革命家はもっとも情緒的な人たちである・・・
革命家はもっとも情緒的な人たちである。
かれらは情緒ゆたかなればこそ、革命家になったのだから。
ホー・チ・ミン
1890年5月19日 - 1969年9月2日
ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した。初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席。 幼名はグエン・シン・クン(Nguyễn Sinh Cung, 阮 生恭)、成年後はグエン・タト・タイン(Nguyễn Tất Thành, 阮 必成)。第二次世界大戦までに使用していた変名のグエン・アイ・クォック(Nguyễn Ái Quốc, 阮 愛國)でも広く知られる。ベトナム人民からは、親しみを込めて『ホーおじさん(バック・ホー、Bác Hồ, 伯胡)』の愛称で呼ばれている。
【本田宗一郎の言葉】 あまり美人じゃなくとも、姿のよい女の方がいる・・・
あまり美人じゃなくとも、姿のよい女の方がいる。自分は顔よりも姿に深い関心を持っている。
顔の造作は生まれつきだが、姿を生かす殺すは頭の働きによって定められる。まことに姿は心の鏡だと思う。
本田宗一郎
1906年(明治39年)静岡県生まれ。22歳で独立。浜松で自動車修理工として成功するが飽き足らず、エンジンやピストンリングの研究を始める。戦後、本田技術研究所を創業し、自転車に小型エンジンを載せた通称「バタバタ」を発売。1948年、本田技研工業(株)を創業し社長に就任。オートバイ「ドリーム号」「スーパーカブ号」などを次々に開発し、二輪車で世界のトップメーカーとなった。その後、四輪車に進出、低公害のCVCCエンジンの開発などを成功させ、1973年社長を退く。1991年8月、肝不全のため84歳で死去。