2016-01-01から1年間の記事一覧
絵を描くことは切羽詰まった自らの熱気のようなもので、およそ芸術からほど遠いところから、原始的、本能的に始まってしまっていた。 草間彌生 草間彌生1929年長野県生まれ。前衛芸術家、小説家。1957年渡米。画面全体に編目を描いたモノクローム絵画やソフ…
老兄は大和魂を解して純粋とように仰せられしように候が、これは積極の方面にて、その裏の消極の方面を見れば、日本人には無気力という欠点がありはせぬかと存じ候。 純粋ゆえに剛情のねばり気がなく、一寸突いていかなければ直ぐ手を引っ込めてしまい、あく…
軍隊生活の束縛ほど残酷なものはないと突然思った。 この病、この脚気、たといこの病は治ったにしても戦場は大いなる牢獄である。いかにもがいても焦っても、この大なる牢獄から脱することはできぬ。 田山花袋 田山花袋1872年1月22日(明治4年12月13日) - 1…
恋人の欠点を美徳と思わないような者は、恋しているとは言えない。 ゲーテ ゲーテ1749年8月28日 - 1832年3月22日 ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マ…
萩桔梗撫子なんど萌えにけり 正岡子規 正岡子規1867年10月14日(慶応3年9月17日) - 1902年(明治35年)9月19日日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、…
ピエールはバラックでの捕虜生活の間に、頭ではなく己の全存在、全生命によって、およそ人間は幸福のために創られた者であること、幸福は彼自身の中に、その自然な人間的要求の満足の中に存すること、一切の不幸は欠乏から来るのではなくてむしろ過剰から来…
一人でいる限り、人は己れ自身であることが出来ない。モラリストの馬鹿どもは、愛するとは自分を忘れることだなどと言う。これはあまりに単純な見方だ。 人は自分から抜け出すほど、いっそう自分となる。 また一層良く自分の生きていることを感ずる。薪を穴…
人が考えるべきことは、何をなすべきかではなく、自分が何であるかである。 マイスター・エックハルト マイスター・エックハルト1260年頃 - 1328年頃。中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者、神秘主義者。ドイツのテューリンゲンにて生まれる。タン…
人を相手にせず、天を相手にせよ。 己れを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。 西郷隆盛 西郷隆盛文政10年12月7日(1828年1月23日) - 明治10年(1877年)9月24日)日本の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。 薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵…
人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。 太宰治 太宰治1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日 日本の小説家。本名、津島 修治。1936年(昭和11年)に最初の作品集…
自分がなすべき仕事に没頭し、工夫をこらし、努力を重ねていく。 それは与えられた今日という一日、いまという一瞬を大切に生きることにつながります。 一日一日を「ど真剣」に生きなくてはならない、と私はよく社員にもいっていますが、一度きりの人生をム…
真に自分が感じるリアリティとは何かということを改めて問われてきますね。現実にあるものを現実にありましたよ、というように撮るのがリアリティなのではなくて、まったく嘘をついたほうがリアリティが出るっていうこともあるわけですから。 写真っていうの…
道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。 天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。 西郷隆盛 西郷隆盛文政10年12月7日(1828年1月23日) - 明治10年(1877年)9月24日)日本の武士(薩摩藩士)、…
人は善くも言われ、悪くも言われるのがよい。 三宅雪嶺 三宅雪嶺1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、評論家。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎。 「三宅雪嶺」で検索する
なにやら、近頃マス・ヒステリアとでもいうのか、誰かを罪人にして、これを徹底的にいためつけ、もって不況の時代のなぐさめとするような傾向が強い。もう少し冷静になった方がいいのではないか。 野坂昭如 野坂昭如1930年(昭和5年)10月10日 - 2015年(平成…
心の本体は安楽にして苦痛なきものなり。 苦痛は只人々の惑(まよい)にてみずから作る病なり。 中江藤樹 中江藤樹1608年4月21日(慶長13年3月7日) - 1648年10月11日(慶安元年8月25日)近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。諱は原(はじめ)、…
突然の災難が降りかかったとき、人は恐怖に立ちすくむ。 この災厄で、財産や社会的な地位や名誉を失うのではないか。愛する者や自分の身が危険にさらされるかもしれない。そんな恐怖でわたしたちの目は曇り、進むべき道を見失う。 しかし、わたしたちには、…
音の響きを心で聴いた。 そうすると、音がぽんと鳴った瞬間に、その音楽がどういう世界観を持っているかがだんだん分ってくる。その時代はそういうことが大事だった。大げさに言うと音から人類の行く末がわかったんだ。 音楽が「兆し」を表すから。 細野晴臣…
数学は必ず発見の前に一度行き詰まるのです。 行き詰まるから発見するのです。 西洋人は自我が努力しなければ知力は働かないと思っているが、数学上の発見はそうではない。行き詰まって、意識的努力なんかできなくなってから開けるのです。 岡潔 岡潔大阪生…
したがって我々は何を学ぶのか、何のために教学を重んずるかといえば、第一に自己の自主性・自立性を錬磨すること、自由を確立することであり、進んでは、それによって発達する自己を通じて、何らか世のため人のために尽くさんがためである。そのために学び…
1940年代頃の音楽の良さは、ダイナミック・レンジの狭さとかセピア色とかそういうことじゃなくて、空気をまるごと一本のマイクで録音したっていうことなんだよ。 空気を切り取るということは、宇宙の断片を切り取ることだから。 そこには、全ての情報がまるご…
気質は何としても変化ならぬ物にて候(そうろう)。米はいつ迄も米、豆はいつまでも豆にて候。 只気質を養い候て、其生れ得たる通りを成就いたし候が学問にて候。 荻生徂徠 荻生徂徠1666年3月21日~1728年2月28日 江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者で…
悟りっていうのはひとつの世界じゃなくて、プロセスなんだと思う。 そこに向かっていくっていうプロセス自体であって、悟りっていうのは「道」なの。その道を歩むか歩まないかってだけなんだよ。 細野晴臣 細野晴臣1947年生まれ。音楽家。1969年エイプリルフ…
やって見せ説いて聞かせてやらせてみ讃めてやらねば人は動かぬ 山本五十六 山本五十六1884~1943年。新潟県長岡出身。元帥海軍大将。日米開戦に海軍大将として反対するも開戦となり、連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を指揮した。59歳で戦死し、元帥を追贈…
世の中に人をそだつる心こそ我をそだつる心なりけれ 荒木田守武 荒木田守武1473~1549年。伊勢皇大神宮の神官。神宮在職中は騒乱相次ぐ戦国の世で式年遷宮も中絶したが、仮伝遷宮祭を奉仕するなど、神宮奉護に力を尽くした。また神明奉仕の傍ら俳諧連歌に取…
選択肢は設定したんだけど、選ぶのは向こうだから。 サイコロの目と一緒。そのくらいの曖昧さがあるんだ。 こっちじゃなきゃダメ、っていう風に選んだことはない。 今思うのは、どっちに行っても同じだってこと。 ふたつに分かれているようで、先は一緒にな…
一人の人間の創造なんて、ほんのちょっとだけだ。 だからこそ、ほんのちょっとのことが大事なのだ。 野口三千三 野口三千三 1914年群馬県生まれ。1934年群馬県師範学校卒業。群馬師範学校・東京体育専門学校助教授を経て、1949年から東京芸術大学教授。退官後…
この世はいつも同じことで悩んでいる。 自分も同じ悩みを凡庸に繰り返している。 つまり考えは変化しても、悩みそそのものはあまり変わらない。 ということはアインシュタイン的な発想で言うと、見解が絶対じゃなく、悩みこそ高速のように不偏だという事だな…
いのちをかける思いがあるならば、ものに取り組む態度というものがおのずと真剣になる。したがって、ものの考え方が一新し、創意くふうということも、つぎつぎに生まれてきます。あなたのいのいちが、生きて働くからです。 そうすると、そこからわたしたち人…
欧米人には小我をもって自己と考える欠点があり、それが指導層を貫いているようです。今の人類文化というものは、一口に言えば、内容は生存競争だと思います。生存競争が内容である間は、人類時代とは言えない、獣類時代である。 しかも獣類時代のうちで最も…